足利義尚は

足利義尚は、室町幕府の第9代将軍。

父は第8代将軍・足利義政。

母は正室の日野富子。

晩年に義煕と改名しているので、こちらのほうが本名であるが一般的には義尚の名で知られている。

応仁の乱で叔父の足利義視と将軍位をめぐって争う候補として押し立てられた。

応仁の乱後に将軍親政を開始し、衰退した幕府権力を回復しようと六角征伐を行なうなど、積極的な幕政改革を行なったが、六角征伐の最中に病に倒れ、父母に先立つ形で死去した。

生涯応仁の乱と将軍就任寛正6年11月23日、第8代将軍・足利義政と日野富子の次男として生まれる。

義尚が生まれる前年の寛正5年、父・義政は実子をなかなか授からないため、義尚の叔父にあたる足利義視を養子にしていた。

ところが生母の日野富子は義尚を第9代将軍にしたいと願望して当時の実力派大名であった山名宗全と結託し、一方の義視も管領の細川勝元と結託して両派は将軍位をめぐって抗争し、これに勝元と宗全の権力争い、畠山氏や斯波氏の内紛なども重なって、応仁の乱の一因となった。
update:2010年07月14日